妊娠を通し深まる女性性への理解◇委ねるという勇気の鍛錬
1人分の人間の命を預かっている上に
自分の命さえも不安定という不思議な期間。
that's 妊婦。
自分1人の力で/治癒力で/体力で
2人分カバーしないといけないけれど
化学的なものを使った大掛かりな防御は気が引ける上
そんな中で最善を尽くしても何が起こるかわからない。
妊婦期間じゃなくても命の儚さ/危うさ/リスキーさは
ある意味私達の手を離れてはいますが
でもそれを日々意識せざるを得ないこの十月十日とは
私に今まで以上の学びをもたらしてくれます。
例えば「握りしめずに委ねる勇気」の鍛錬。
最善を尽くしても何が起こるかわからないという時間は
今までの自分の生き方とは違い
受胎告知された聖母マリア様のごとく
「仰せのままに」としか言えないことも多い。
自我を薄め、手放すことは
慣れるまでは本当に勇気のいることだけれど
それでも「手放しても大丈夫なんだ」という経験を
既に多くしています。
(マリア様のすごさをこの歳で痛感しています。いきなり天使に「赤ちゃん産んでね」って言われて「わかった〜(仰せのままに)」って私絶対言えない...)
そして段々「仰せのままに」というこの姿勢は
女性性の特徴の「感じる」と繋がると
見出せて来ました。
「感じる」それは言葉を変えれば「受け取る」
つまり
「全て受け取ります、仰せのままに」という姿勢。
自我を手放した結果さえ受け取ります、という勇気。
されるがまま。成されるがまま。
自らの意思でどこかへ動くのではなく
ただ存在し受け取る姿勢。
外へ向かう矢印を何も持たない。
ただ、在るだけ。
自分と外界への信頼があって初めて成せる
静かな/閑かな在り方。
自転車をこげる自負があるからこそ
ハンドルから手を離せるということに似ている。
自己信頼があるから委ねられる。
自己信頼が外界信頼へ繋がる。
ただ存在する、というエネルギー。
動きは委ねる、という勇気。
受け入れる/包み込む/馴染ませる/閑か...
ヨガ/禅/枯山水や書や華の道にも繋がるような
その姿勢/心/在り方を
まさにこの身で学び、体験し、
体得させてもらっているような日々です。
(たまたま最近読んでいるこの所作の本が禅の本なんですが、妊娠期間で感じているこの「仰せのままに」という閑かさと繋がるところが本当に多いです。)
「仰せのままに。全て受け取ります。」
自己信頼は外界信頼。
外界信頼は全て/宇宙への信頼。
全て/宇宙への信頼はやっぱり自己信頼。
巡り巡ってやはりミクロとマクロは繋がるんですね◎