お閑かに♡エネルギーは散漫させず泉の如くこんこん溢れさせていく◎
昨日のブログにも書いたけれど
禅の心の在り方と女性性の特徴
〜存在する/受け入れる/包みこむ/馴染ませる/閑かetc〜
が多く重なっていることを感じます。
先日から読んでいるこの所作についての本。
こういう所作やマナーなどの本/教えって
自身の中身が未熟だと
ただ「型」を模するだけに止まるだろうし
かろうじて身についたとしても表面的なそれは
見た人が明確に言葉には出来なくとも
違和感として伝わってしまうもの。
ぎこちなく自然でない。流れていない。心地よくない。
とってつけたようなもの。
その人の血肉ではないもの。
立ち居振る舞いにおける
しとやかさ/嫋やかさ/閑かさ/品and so onを
上辺だけでなく本質から体得するには
「自身のエネルギーを散漫させない」という
視えないトレーニングありきと考えます。
そしてこの
「自身のエネルギーを散漫させない」ということこそが
私の中では【ただ存在する=女性性】と思い起こさせ
【Be=在るだけ】と繋がり
【閑かさ】と繋がります。
また、散漫させていないので溜まり/留まる一方が故に
【次第にこんこんと溢れていく】イメージとも成って
それはつまり【集中】を意味し
禅で言う
・喫茶喫飯(この禅語大好き😍)
・逢花打花逢月打月(はなにあえばはなをたし、つきにあえばつきをたす)
などあらゆる姿勢と繋がります。
私自身
「集中する」という行為がすごく苦手だったけれど
それは「意識が散漫だったんだな」と
表現を変えた途端にスッと腑に落ちて
「集中する!」に力まずとも
「散漫させない」と力を抜くだけで
今は驚く程エネルギーを集められるようになりました。
集中出来るようになったし
感覚がより研ぎ澄まされるようになって
野菜の甘さや風の匂いに前よりも敏感です◎
(ちなみに本書の中で美しい姿勢のポイントとして半眼について書かれていますが、これが「美しく魅せるどうのこうの」を通り越して「エネルギーを散漫させない」ことに実に有用♡視覚情報を減らすだけで驚くほど散漫しなくなります。)
そう考えると現代人って本当に意識を散漫させられるものが多すぎるんだろうな。
TV/携帯/lineの既読がどうのこうの。
SNSのいいね通知一つにしたってそうですね。
半眼もしくは閉眼しエネルギーを溜めれば
鼻が/耳が/舌が、五感がより目を覚まします。
その五感の研磨こそが
アーティストやクリエイターの本分であり
作品の核となると考えます。
エネルギーは散漫させない。
溜め、留めて閑かに溢れるのを待つ。
あれやこれやと考えない◎動かない。
ただ存在する。ただただ存在する。
その一点に呼吸を吐く。
禅面白いです📖
ちなみに余談ですが
「透明感のある時間帯」
「寒気を緩やかに溶かす風の温もり」など
美しい日本語の表現が多く
目に非常に豊かな一冊でもあります。
こういう情緒豊かな美しい日本語も
あらゆるものから受け取り感じ取れる五感=センスあってこそですね。
そしてそのセンス=才能の洗練こそが
視えない「誰か」の気持ちや想い
視えない「自分」の気持ちや想いを
捕らえる自身の力になり
豊かな現実創造への種/糧になっていきます◎
ただ在る♡お閑かに♡