矛盾をまるごと自分に許す◎両極端な物さえ自分に選ばせてあげる②
前記事の続き◎
「見極め」の後の「選択」について。
「自分を信じて」なんて言葉が溢れているけど
不親切で無責任な
キラキラしただけの物言いだなと感じる。
厳密には
「自分を信じて。そして自分を疑って。」
自分を信じようとすること
自分を疑うこと
矛盾していることが2つで1つで初めて力を持つ。
「自分を疑って」もちゃんと伝えないと。
矛盾したものに対峙した時
私達はつい「どちらが正解か?」と決めたくなるけど
正解なんて本来は存在しなくて
その時々で
「両極端のうちお好みのほうをお選び下さいませ」
でしかない。
自分を信じて!と同じくらい
自分を疑って!と声を大にしないと
自分を疑っているからこその現実であると同時に
自分を信じているからこその現実でもある。
見極めないと。
私は自分のことを信じているけれど
同時に誰よりも一番疑ってもいる。
何故なら私は私について一番よく識ってはいるけれど
一番忘れていて
一番目隠ししていて
一番誤魔化しているから。
それを自覚しているから。
だからその都度都度、丁寧に自問して
カラダがスッとほどけるまで内側に潜る。
慣れたらほどけた瞬間が体感で理解出来るし
わからなくても現実が変わる。
見え方/感じ方が変わる場合もあるし
リアルに外界の様子が変わる時もある。
そういう風に出来ている。
一見矛盾しているもの、2つで1つ。
自分には両方を選ばせてあげる。
信じてあげて疑ってあげる。
おにぎりもサンドイッチも食べさせてあげる。
右手も左手も使わせてあげる。
どっちを使ってもいいよと
どっちを選んでもいいよと言ってあげる。
そうじゃないと自分のしっくり来るところ、なんて
わかりゃしないんだよ。
そして大概現実が拗れた時には
真逆にあること、大抵「決して許せない」と
自らスッと選べないものこそが
都合が良かったりするもんだ。
そして選べない時は
「私たちはただのデータであること」を
思い出そう。
「自分だと思ってる実体」なんてないよ◎
むしろその
「自分はいなくなるんじゃないか」という怖さを
「自分はこれになっちゃいけないんじゃないか」という怖さを
勇気を出して飛び越えた時には
パラレルワールドが視えるんだから。
何も怖いことなんてなくてパラダイスでしかない◎
全てのことの狭間を行ったり来たりしよう。
全て選べることを自分に許してあげるんだよ。