表現とはひたすらに自分の中の光の追求である♡②〜解釈者という作用し合える存在〜
続き②です→→→
実は今回のタイトルは
大好きな藤本さきこさんのブログのもの。
言葉にしきれなかった感覚を
物の見事に言葉に落とし込んでくださり
これは周りのアーティストやミュージシャン
皆に読んで欲しいと思って引用させてもらっています。
==(以下引用)===========
自分があの時感じたものがなんだったのか?
それを自分で理解するために「表現」をする。
わからないから。
目に見えないし音にも聞こえない
「それ」がなんなのか。
自分自身がわからないから、出してみるんだ。
出すことによって分かるのだ。
表現活動とは外側に向ける「ドヤ活」ではない。
ひたすら自分自身に対して繰り返される、追求だ。
*
日本の音楽シーンでも「一発屋」と呼ばれるミュージシャンもたくさんいる。
売れるための曲を作れるか作れないか、とか
そう言うんじゃなくて。
外側のそう言う折り合いもあるかもしれないけれど
圧倒的に自分とのコミュニケーション
(これを「戦い」と呼ぶ人もいるけど)
なんのために表現するのか
つまり「自分はなんなのか」
ここに尽きるのだと思う。
==(以下引用)===========
・その人が「表現する技術」を磨き続けること
・公開されること
はとても重要な要素なんだろうけど、
・自分が何を描いたのかを自分が理解すること
はとても大事なんだと思う。
そしてさらに、私が今、感じることは、
・解釈者
の存在がとても大きいと思う。
つまりさらなる「表現者」の存在だ。
==(以下引用)===========
不意に「源」に触れて、その感覚を表現した時
自分ではわからないんじゃないか?
自分が何を描いたのか?自分が何を作ったのか?
どこから来たものなのか?
*
そんな風に
「源に一瞬乗っ取られて作った作品」というのは
本人(個)は「うまく説明が出来ない」んじゃないか?と思う。
*
「名曲」「名画」と言われるものは
きっとそういうインスピレーションに溢れたもので
作った本人はよく説明がつかないものなのだ。
ただ、「なんかそうした」
もっと言えば「させられた、描かされた」に近いもの。
*
解釈者の存在、つまり
・さらなる表現者が絡まること
がとても大きいと思う。
それは「反応者」「評価者」ではなく
それを吸って、さらに自分の表現にしていく人のこと。
最初の記事にも書いたけど
表現とは「作品発表」ではなく
ひたすらに自分自身の中の光の追求。
自分自身の追求が誰かを絡めてさらに増幅する♡
表現×表現が絡みあう♡
自分が出したものが、誰かの解釈、誰かの表現により
また自分の中のものを理解していく。
だからやっぱり役割がある。
それぞれの担当があるんだよね。
それが才能だし素材だと思う。
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神記事過ぎて首が折れるほど頷きまくった
さきこさんのこれらのブログ。
今回MVリリースした「守り人の蛙、自由の蓮」は
面白くなってきたインスト作曲を
本格的にSLの活動に組み込むかどうかを悩んでいた頃
覚悟と決意表明のつもりで書いたもの。
最初はファミリーが離れていくんじゃないかって不安だったんだけど
「音楽で繋がれた1番最初の家族(=蛙さん)は私がどこへ行こうときっと永遠に見守ってくれる。だって彼はずっと私を支えてくれた私の守り人だし、何より私が彼をそう思っている。永遠に守られている私は彼への永遠の感謝を蓮の花で返し続けよう。泥をたくさん吸って、大輪の花を咲かせ続けよう」
と決意して、
周りの誰もに理解されない怖さを受け入れて
インスト制作を始めた。
(そしてハマりにハマって杢3004というもう一つの名義までスタートさせた♡)
でもその決意が良かった。
・完全に音というものに没頭する。
・一音から視えた世界を冒険し繋ぎ合わせ音楽にする。
トリップするかのようなその作業が至福だからこそ
真逆の
・メッセージや意図を軸にした歌モノやポップな曲
要するに頭も使う音楽を作ることが
更に新鮮かつ自由で楽しくなった。
(それでも70〜80%は思考止まってるけどね笑)
ある方には
「真逆のことをしてバランスを取っているんだね!」
と言われて、
自覚はなかったけど確かにそうだなと感じた。
そんな風にして
【音楽で繋がった1番最初の大事な家族へ書いた】
【インスト本格制作のきっかけ】となった
「守り人の蛙、自由の蓮」を
【嶋田真己という新しい目で解釈してもらった】
のが今回のMVということ。
言葉がない「守り人の蛙、自由の蓮」という世界に
♡見てくれた人にインスピレーションが降るように♡
♡忘れてはいるけど必ず識っている自分だけの世界を覗きに戻れるように♡
との願いを織り込んだ上で
嶋田真己の耳に響いたこの曲が
嶋田真己の目に視えた世界となって現れた
まさに【解釈者による×表現】という
もう一つの膨張した姿の「守り人の蛙、自由の蓮」
①で書いたように
音楽をプロモーションするための映像作品である
「プロモーションビデオ」ではなく
音楽や歌詞、アーティスト性の世界観を視覚化した
「ミュージックビデオ」でもなく
完全に音と映像が対等で作品×作品として成立している
ショートフィルム的な映像作品。
(このシーン大好き♡どこから見たどこの星なんだろう?って思うんです。空を飛ぶ動物も不思議♡)
(一見混沌とする世界に優雅に羽ばたくこの鳩の白の美しさに惚れ惚れします♡白鳩ってなんでこんなに神聖に感じるんだろう?♡)
(しまんちゅはもちろんそのつもりではないんだけど私は初めてこのビジュアルを見た時人間がいないアトランティスってこんな感じかなって思った♡動物と植物と神様達のエデンのよう♡)
作品/音楽/絵/芸術
源/既に識っている世界/あっち/内側/宙の向こう
アクセス/再会/帰宅/全員/個人/世界/我
それらが私の中で
【感性】というキーワードで繋がっていきます。
これからは女性性の時代。
私的に言うと感性の時代。
だからアーティストの時代◎
(ビジネスにおいても感性/美意識の鍛錬から養われる確固たる財産:直観が10年前から重要視されている。音楽を聴かない/アートに触れない/香水やアロマや香油に触れない、感性を意図して刺激せず疎かにすることは時代遅れで危機感すらも感じる。)
・さきこさんのブログ
・MVリリース
更にはとっても不思議なことに数日前、
私を山羊座満月から立ち上がらせてくれた
あるとっても素敵な芸術的な手紙も
まさにこの【解釈者】の訪れでありました。
③へ続きます→→→
※もっかい藤本さきこさんのブログ貼っておきます♡
神記事なので表現者の人は何回も読んで欲しい!!