遣うなら気よりも心、怖れずに◎目一杯に愛そうとする◎
(気持ちよく57577♡整いました♡笑)
昔言われたことがあります。
「さちよってすごく気ぃ遣うね。疲れない?」
「そんなに気遣わなくていいんだよ?笑」
当時まるで心配されているかのように
緊張をほぐしていいよと言わんばかりで
すごく戸惑ったんですが
最近になってやっとその違和感の謎が理解出来、
腑に落ちて自分の言葉で言えるようになりました◎
その日の私は気を遣っていたんじゃなくて
その相手に対しては心を遣っていたということ◎
そこに
「気を遣わなくていいよ」と声をかけられたもんだから
違和感を感じたということ◎
私は当時潜在意識云々の勉強を始めた頃なのもあって
「気ぃ遣わなくていいよ」と言われて
「無意識に気ぃ遣ってるのかなぁ。
嫌われたくないとかそういうことかなぁ。」
って深読みしちゃったけど全然お門違いでした笑
相手が気遣いと心遣いを一緒くたにする人だっただけ。
そして私はこの一件で
その確かな差異について言葉にする機会をもらえたということなのでした🤣
そして追って気付くのは、
何でもかんでも「気を遣う」って言っちゃう、
片付けちゃう/まとめちゃう、
その表現しか持っていない人って
「他人の心遣いが見えないんだろうな」ってこと。
「私には見えていません」は「私は知りません」
「私は心遣いを知りません。
自覚して心を遣っていません。」
って宣言してるのと同じだなぁと感じます。
だって自分がそれをやってて
カラダの中にその感覚があったらわかるよね?
想像力が働くし「そう見よう」とするよね?
私も自覚がなくて言葉に出来なかったけど
一旦「あ、これは私の心遣いなんだな」と
自分の行動を自覚して理解出来れば
やっぱり言葉にもできるよね?
言葉に出来ないってことは
感覚的に捕まえられてはいても
自分のことを把握しきってはいないということだよね?
「心遣い」という表現を知っているだけで
「相手が今下さったのはお心だ!😳」と
相手のそれが見えるようになるし
見えるようになると今まで以上に感謝が溢れるし
そして更にもらえるようになる◎
相手にもらった気持ちやモノ云々ももちろん財産だけど
見えるという自分の力こそが一生物の財産でもある。
「お気遣いなく」
=「気を遣って頂かなくて結構ですよ」という
一見謙虚な遠慮の姿勢をされるより
「お心遣いありがとう😊」
=「心を込めて下さってありがとう」と
受け取るほうが好きだし受け取られるほうが好き。
どうせなら笑顔いっぱいで受け取りたいし
受け取られたい😊
受け取られたら嬉しくてまた渡したくなる😊
みんなそうだと思うなー。
笑って何もかもを交換♡交換♡ってライトでいい。
心配や怖れからくる「気遣い」より
目の前の相手を目一杯愛そうとする「心遣い」を。
同じエネルギーなら怖れではなく愛ベースで♡
ゆるみほころんだ笑顔いっぱいで
「ありがとう☺️💕」を言い合える世界へ
たくさん頂いて/たくさん渡せる世界へ
そんな令和へ自分から!♡